第二次世界大戦の激戦地のひとつ、東部ニューギニア(現パプアニューギニア)で見つかった水筒が、持ち主とみられる兵士の戦死から70年を経て今月、遺族 の元に戻った。水筒に刻まれた姓を手掛かりに、戦友会関係者らの調査で持ち主が判明。劇的な“再会”に、遺族は「信じられない」と喜びをかみしめた。
水筒の持ち主は、昭和17年12月にニューギニア・ブナで戦死した、岐阜県出身で歩兵第229連隊第3大隊の上等兵、纐纈(こうけつ)啓一さん=当時(21)。
水筒は、昭和56年~平成17年に現地で遺骨収集を行った南海支隊の元兵士、西村幸吉さん(92)=埼玉県=がブナで見つけた。関係者が日本に持ち帰り、泥やほこりを拭うと、水筒の2カ所に「交告」と刻まれているのを発見した。
同隊戦友遺族会の世話役、辻本喜彦さん(65)らが調べると、交告は纐纈の略字で岐阜県に多いと判明。同県遺族会に調査を依頼した結果、県内の纐纈姓の戦死者143人のうち、ブナでの戦死者はほかに確認できず、水筒は啓一さんのものとみられる。
辻本さんが今月17日、岐阜県を訪れ、啓一さんの3つ違いの妹、小栗ぎんさん(87)=岐阜県瑞浪(みずなみ)市=に水筒を手渡した。弾痕や穴が残るア ルミ製の水筒を手にしたぎんさんは「魚釣りが好きで、優しかった兄さんを思い出しました」と目を細めた。辻本さんは「啓一さんの国に帰りたいという強い気 持ちが返還につながった」と話した。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121126-00000082-san-soci
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